今日、日高村役場の方が、小学校の社会科で使う副読本を持ってきてくれました。取材に協力したからだそうです。
その内容の一節に衝撃を受けました。
「かつて日高村には手漉きをしている家が500軒ありました。」
500軒!
すごい数字です。今の世帯数から言っても、ほとんどの家で紙を漉いている計算になりはしないか?
それが今ではどうでしょう。
日高村で湿式で紙を漉いてるのは2社じゃないですか?
これを産業の集約と見るべきか、衰退と見るべきか。
その両方でしょう。機械化により集約。産地間競争とライフスタイルの変化で衰退。
しかし、2/500とはこれまたすさまじい。高知県全体で考えればもっと極端な比率になるのでしょうね。
紙漉という作業が日常生活に近かった故の500軒であり、ひとたび効率化に晒されれば衰退する過程は、家で漬け物を作らなくなり買うようになったのと同じような尺度で考えるべきかもしれない。工業の集約とはまた違ったものなのでしょう。
2/500はある意味生き残ってきた結果ですので生物学的に言えば生存競争に勝ち抜いてきた進化の姿でもあります。そこに企業としての生き残りの鍵があると思います。
多国籍企業のように体を大きくすることは恐竜の大型化やクジラ、象と同じで生き残り戦略の一つの形ですが、体を小さくし、他の生き物が食べないものを食べ、住めないところに住む砂漠の生物のような生き方もあるのだと思います。
極限の環境で生き抜いているということは企業として強いということ・・・ではなく特殊な環境下において適応しているに過ぎないとも言えます。環境が変わればじつに脆い。種としての絶滅につながります。
はたしてどのような生き方がふさわしいのかは生涯わからないと思います。環境が変わり続ける以上は。
だから、常に模索、常に進化。