明日から二日間、中小企業家同友会の事務局で「経営指針を作る会」があります。
経営指針とはその企業経営者が目指す場所を示すことです。それを成文化する講習会です。
私も一応、経営者になりましたので(とはいえ会長がいるのでそれなりに)私なりにこの会社の目指すべき方向性を明らかにしたいと思います。
そういった講習会を前に情勢分析をする日々なのですが、先日見たテレビや本からある考えが浮かびましたのでそれをここに記すことで私なりの考えをまとめたいと思います。
いわば日本の産業史を国の都合で考えてみる。
この国の経済は少なからずというか、その大部分が大企業とそれを優遇する政治家、官僚によって方向性が定められてきました。
戦前戦中は言うに及ばず、戦後、経済が発展してくるに従い製造業の労働力が不足してきました。そこで、山村、農村、漁村から多くの若者が都会へとやってきました。つい最近の中国みたいですね。
これは言い換えると国として林業、農業、漁業を国家が切り捨てた瞬間です。木は海外から買えばいい。農作業は機械化すればいい。もしくは農産物を輸入すればいい。水産物も買えばいい。それだけ商社など大企業にお金が動く。
山村、農村、漁村からの労働力は製造大国日本の礎となりました。
しかし、やがて国際競争が盛んになってきます。
そこで大企業と国は考えた。生活が豊かになってくると人件費も上昇する。それならば製造は人件費が安価な海外で行えばいい。製造業の切り捨ての始まりです。
まず、国は国内の労働条件を良くしていきます。労働時間の短縮により、人件費がますます上がり国際競争力を失います。
労働者派遣法を改正します。これにより技術の継承は滞り、日本の製造現場から技術力が失われました。デジタル化、マニュアル化も技術力を失わせることにつながりました。
資源の無いこの国の唯一の資源である勤勉で優れた技術を持った労働力を放棄したのです。
結果、この国はコストが高くて技術力が無い国になってしまったのです。
これで国が描いていた理想の形になりました。製造業の切り捨て完了。
これに代わってITと金融が表舞台に立つことになります。が、はじけちゃいました。
結果、なにもない国が残ったのです。残ったのは老人福祉くらい?
高知県産業振興計画の初期の内容を見て愕然とした覚えがあります。高知県製造業の中核をなしていた機械金属、窯業、紙など一言も触れられていなかった。(最終的にはちょっぴり組み込まれましたが。)
ここで私は悟りました。この国は製造業を切り捨てたことを。
国家としての指針から外された産業がどうなるかは、すでに切り捨てられた農林水産業の今を見ればわかります。高齢化、衰退。高知で専業農家が2000人しかいないって聞いたんですが本当だろうか?林業などもっと少ないのだろう。漁業も高齢化が激しいらしい。
アメリカはかなり昔に製造業を切り捨てましたが、今となっては製造業のイメージは軍需産業を除けばありません。
ということを思考の基礎として経営指針書を作成するわけです。いまや自分が席をおく産業は国家の庇護を離れた斜陽産業である。今後、紙産業において画期的な技術革新は起こらないであろう。続くのはひたすらに淘汰だけである。大企業はますます効率化することで生産能力を伸ばし、独占状態に近づいていく。究極、国内の需要を賄えることができる数社になるだろう。
伸びしろが無くなった大企業はやがて見向きもしなかったような製品、業種、ロットにまで手を伸ばすようになる。実際、そのような動きが紙業界では見られるようになってきました。
そんな大企業さえも避けるような商品、商材こそが我々、零細企業の生きる道である。量が少ないわりに面倒で利益も少ない。それが我が社の生きる道。
ということを軸にしていこうと思います。