3代目の雑記帳

ブラック?ホワイト?

私、4月から盛和塾に入塾いたしました。
http://www.seiwajyuku.gr.jp/

京セラの稲盛和夫さんの経営哲学を学ぶのです。

おそらく、もっとも縁遠い経営者であろうかと思いますが共感すべきところもあり、あえて飛び込んでみたのです。
はてさて、どうなることやら。

さて、Webで稲盛和夫と検索していますと気になるキーワードと一緒に出てきます。
それが「ブラック」という言葉。

そこでそういったサイトを読んでみますとブラックたる所以がわかってきました。

経営者の理念を社員に浸透させる行為を「洗脳」と呼んでおり、洗脳によって社員をロボットにしている。もしくは経営者にとって都合の良い「社畜」にしているという言い分です。
洗脳され経営者の言うがまま、もしくは、自主的にサービス残業を喜んでやる姿を異常としているのです。
それを「ブラック」としているのです。

まあ、わからんでもないです。徹底した教育で仕事に生きがいと喜びを見出し、やりがいを感じることを何よりの価値として働く姿は美しくもあり、しかし、行き過ぎると、ちょっと宗教的で怖い部分もある。

それを企業の理想像として心酔している経営者が日本全国にたくさんいらっしゃいます。
しかし、企業というものは多かれ少なかれそういうものではないかと思います。企業に限らず、組織とは同じベクトルに向いた人々の集まりである以上、経営者が方向性を示す必要があり、それに全社一丸となって突き進むことで組織力が発揮されるのだと思います。

が、経営者のカリスマ性が強すぎて宗教じみてくると、それを洗脳と呼び、ブラック企業と呼ばれる。そんな時代であり、風潮であり、煽り立てるマスコミがあり。

加減が難しいですね。

企業にとって経営理念は必要です。理念を思考の軸として考え、行動するということは少なからず信仰に近い部分もあるでしょう。

今の時代、多少、ブラック企業と言われる方が企業としては健全なのかもしれません。
そんな企業は実際問題、強い組織力を誇っていますし、業績も良い。

そんな見方をすると、日本の製造業が強かった昭和の企業は今の尺度で言えば大半がブラック企業なのかもしれません。

さて弊社はおそらくブラックではございません。言い換えると経営者の想いが全然伝わっていないとも言えます。社員は各自それぞれの価値観でそれぞれ別の方向を向いています。まあ、それはそれで有りだとは思うのですが組織ではないです。単なる個人の集合体。生活の糧をあるための手段に過ぎません。組織としてはいたって脆弱。

まあ、それはそれで割り切って考えればいいのかもしれません。それが時代にあってるのかもしれません。それを徹底してみるのもよいかと考えています。会社は常識の範囲内で、肉体的、精神的、時間的に社員を拘束しない。その代わり、生活基盤である会社を栄えさせるのも潰すのも社員一人ひとりの責任ですと考えてもらえればいいかな?(実に無責任経営ですなあ)

いや、実際、私はなにごとも自然に決まってくると考えています。ベクトルもそのうち自然に。

なんて考えの私が盛和塾に入っていいのか?って疑問もあるかと思いますが、あえて異質なところに飛び込み、自戒の場としたいと考えています。

目標にするには高すぎる。

もっと低い山から。

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